Friday, October 15, 2021

ネットも断たれた孤絶 筋ジス病棟で生涯過ごす人たち - 京都新聞

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筋ジス病棟に入院していたころ、口にくわえたペンで絵を描く野瀬時貞さん

 結核からの隔離施設だった戦前からの歴史を持つ、国立病院機構の筋ジス病棟。筋ジストロフィー患者ら難病患者や重度身体障害者全国約2千人が、ネットを好きな時間に使う自由もなく暮らす。障害当事者団体を中心に活動を展開する「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」が15日、京都市内で記者会見し、筋ジス病棟入院患者へのアンケート調査結果を報告した。昨年9月までに全国筋ジス病棟18病棟58人から、障害者が聞き取った。看護師など病院スタッフから虐待を受けたことがあると3割の人が回答した。「入浴介助に初めて男性が来たときは泣いた」と異性介助による人権侵害や「ける殴るの暴力。口にガムテープ」「ナースコールを押しても来てくれない」といった、深刻な声も寄せられた。

 スマホを使うにも看護師らがセットする介助が必要で、発信する自由も情報を受け取る権利も著しく制限されている。10代の青春時代から行政による措置入院をし、生涯を病院隔離のまま過ごす患者がほとんどだ。政治が社会的包摂をうたい、新型コロナで隔離のつらさは社会に知られ、ネットを介したつながりは社会のインフラとなったにも関わらず、取り残された筋ジス病棟。筋ジス病棟からの声なき声は、政治が放置し、隅に追い詰めてきたセーフティー医療のひずみを突きつけている。

 野瀬時貞さん(24)が、初夏の今出川通を車いすで進む。独り暮らしの家を出発し、コンビニでおやつを買って道草し、ヘルパーと雑談しながら。

 野瀬さんは生まれつき脊髄損傷と脳性まひがある。最重度の身体障害者で、人工呼吸器を使っている。24時間、ヘルパーの介助がいる。野瀬さんが向かう先は、京都市右京区の国立病院機構宇多野病院を退院し独り暮らしを始めた筋ジストロフィー患者藤田紘康さん(39)の家。病院併設の鳴滝総合支援学校では野瀬さんが後輩だが、宇多野病院から地域での自立生活へ移行したのは野瀬さんが1年先輩だ。

市バスに初めて乗車した筋ジス患者の藤田紘康さん

 視線入力装置の微調整を、ヘルパーへの伝え方を野瀬さんが藤田さんに説明する。全身性の重度障害者同士だから、介助する側の都合ではない言葉がある。なんでいつもタンクトップ姿なん?と突っ込まれた野瀬さん。

 「冬はタンクトップにオーバーオール着てる。だから大丈夫」。「なにが大丈夫やねん!」ヘルパーも巻き込み、笑い声が部屋を満たす。続けて野瀬さんが、難病患者が日焼けで水疱症になるのを避ける工夫を話す。2人とも筋ジス病棟では外出を禁じられ、何年も外で陽光を浴びることはなかった。

 藤田さんを下鴨神社まで散歩に誘い出す。「え、今から?」。藤田さんも人工呼吸器ユーザーだが、在宅移行して間がなく、車いす移乗や姿勢の保持のやり方がなかなか安定しない。藤田さんにとって、市バスに乗るのは人生初だ。

 たん吸引で何度も車いすを止めながらヘルパーとバス停に向かい、藤田さんが市バスに乗る。車窓を今出川通のビルや京都御苑の森が流れていく。藤田さんがじっと眺める。下鴨神社の糺ノ森に着く。夏の夕陽が樹々から時おり漏れて、地道で二人の車いすが音を立てる。野瀬さんの軽口とおしゃべりが道中も続き、藤田さんは苦笑している。

下鴨神社を散歩する野瀬さんと藤田さん

 小学校1年から17年もの歳月、野瀬さんは宇多野病院の筋ジス病棟で入院生活を送ってきた。昔は病院内で患者が集まって歓談したり、サークル活動したり外出もできた。

 「数年前からは、外出はおろか、ベッドから車いすに移乗して院内を移動することさえできていません。病院での生活は、好きな時に好きなことができない。起床や就寝などいろんなことに時間が決まっている。それまで普通に食べていたのに、急に鼻注(鼻からの栄養注入)のみとなり、おやつやジュースも口にしてはいけないと言われているのがとてもつらいです。一人暮らしを考えています。これからは自分のことは自分で決めて、自分が進みたい道を突き進んでいきたい」

 2018年、まだ筋ジス病棟にいた時、京都市内でのシンポジウムにスカイプで参加した野瀬さんの言葉。長期入院患者にとって、とても勇気のいる発言だった。

地域で暮らす難病当事者の支援者に、退院と一人暮らしを相談する藤田さん(左)

 野瀬さんは口で筆やタブレット端末のペンをくわえて操り、絵を描き、メールを入力し、パソコンゲームも操る。しかし手足が動かず寝返りもできない野瀬さんにとって、看護師が端末をそばにセットしてくれないと、ネット世界とは途絶する。

 スマホに夜着信があっても、出ることができない。自由を。重度訪問介護という福祉制度を使って地域生活できることを知った野瀬さんは、一人暮らしの夢を募らせた。

筋ジス病棟に入院していた頃の野瀬さん(右)

 2018年ごろ。地域移行を支援する京都の重度障害者が宇多野病院で野瀬さんと相談している。隣のベッドで過ごす人は野瀬さんの知人なのに、車いす移乗して顔を合わすことも、直接話しかけることも何年も途絶えているという。支援者の「地域で一人暮らしは今の在宅ヘルパー制度を使えば可能だよ」との言葉は、筋ジス病棟の他の患者にもきっと聞こえている。

 返事はない。野瀬さんがそうだったように、地域移行に使える制度のことを病院からは知らされず、意思疎通するためのコミュニケーション支援がなければ、関心があっても声も挙げられない。

京都の町並みを楽しむ藤田さんと野瀬さん

 「おめでとう!」宇多野病院の看護師や病棟スタッフが、退院する野瀬さんを見送りに集まる。2019年夏、野瀬さんは上京区で一人暮らしを始めた。筋ジス病棟から地域移行する運動は全国に広がっている。野瀬さんは、こう振り返る。

 「支援学校時代の後輩しか見送りに来ないと思っていたから、病院のスタッフさんが見送ってくれてびっくりしたし、こんなにぼくのこと思ってくれてたって、うれしくて。シンポジウムで筋ジス病棟の待遇問題を訴えたけども、病院の仕組みや人手不足が悪いと思っていて。病院スタッフには好きな人もいるし、退院してからも、通院ではなく宇多野病院に顔出しにいったし」

 告発という言葉を使わない野瀬さん。筋ジス病棟と患者が対立するのではなく、風通しをよくするにはどうすればいいのか。野瀬さんは、のほほんとした日々の暮らしをSNSで発信し、筋ジス病棟からの在宅移行プロジェクトに加わり模索を続けている。

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