ヤクルト時代の13年に年間60本塁打の日本記録を達成し、昨季はソフトバンクでプレーしたウラディミール・バレンティン外野手(37)が22日(日本時間23日)、自身のツイッターで、日本球界からの現役引退を明らかにした。NPB通算301発の大砲は移籍先を模索していたが断念。米国復帰の道なども厳しく、事実上、キャリアに終止符を打つものとみられる。“日本で最も本塁打を打たれた投手”元阪神の岩田稔氏(38)がスポーツ報知の取材に思い出を語った。
最も一発を浴びた投手が私だと聞いて、面白いと感じたし、記憶の中でも、相当打たれた印象が強い。最後の8本目を浴びた2019年5月22日(甲子園)は3ボールから直球を狙い打たれ、左中間の中段まで簡単に運ばれた。あそこまで完璧にやられたのは、同級生の(西武・中村)剛也ぐらいしか思い出せない。
王さんの記録を塗り替えるメモリアル弾も、私が打たれたかったのが正直なところだ。13年は夏場に状態を落とし、2軍調整となっていた。バレンティンが記念すべき56号を放った2日後の9月17日に約1か月ぶりの1軍昇格。あの時、被弾したエノキ(榎田)には「俺が打たれるはずやったのに…」と言い続けていた。どうせなら歴史に名を刻ませてほしかった。
気持ちのムラのある選手で、いかに内角を突いてイライラさせられるかが勝負だと思っていた。ただ、すさまじく集中している時は厳しいコースを攻めても、コンパクトにはじき返された。一度、キャンプ休日に沖縄の免税店でルイ・ヴィトンの買い物袋を両手に抱えていた姿を見かけたことがある。ジャリジャリと音を立てそうなアクセサリーを体中につけていた。グラウンドを離れても、威圧感がすごかった。(阪神タイガースコミュニティアンバサダー)
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