野球の日本は2日の準々決勝(横浜スタジアム)で米国と対戦する。先発は日米通算181勝の実績を誇る田中将大投手(楽天)。駒大苫小牧高(北海道)時代に監督として指導し、現在は社会人の西部ガス(福岡市)で監督を務める香田誉士史氏(50)=佐賀市出身=は32歳になった教え子の活躍を期待した。
チーム最年少の19歳で出場した2008年北京五輪は4位。コロナ禍で東京五輪が1年延期となり、今年1月に米大リーグから楽天に復帰して前回の「リベンジ」の機会をつかんだ。復帰会見では「北京五輪では悔しい思いをした。自国開催だし、金メダルを取りたい」と思いを明かした。
「そういうタイミングや運、縁だとか。巡り合わせを引きつける子」。香田さんは田中将を評する。高校時代はエースとして2年夏に甲子園で優勝し、3年夏は準優勝。06年秋のドラフト会議は4球団が1位で競合し、楽天が引き当てた。
背番号を決める際に大きめの数字を薦めると、田中将はスッとエース番号の「18」に手を伸ばした。「結局『18』らしくなるんだもんね」。1年目の07年から活躍し、当時監督だった故野村克也さんの「マー君、神の子、不思議な子」との言葉に、香田さんも「分かる」と共感したという。
兵庫出身で、駒大苫小牧高では初の「野球留学」の選手だった。目立ったのは精神面のバランスの良さ。「真面目すぎず、やんちゃすぎず。偏った考えもなく、笑いも分かる」。野球では投球はもちろん、打撃や守備も隙がなかった。
他人の心が理解できるからこそ、打者心理の洞察にも長じていた。強豪校に打撃マシンで対策をされても「マシンと僕の球は違う。打たれないです」と言い切った。プロでは13年に無傷の24連勝。楽天をリーグ初優勝と日本一に導いた。「18」に近い「19」を背負った米大リーグのヤンキースでは通算78勝。復帰した楽天で再び「18」をつけた。
13年前の北京五輪では背番号「15」。自国開催の今大会は00年シドニー、04年アテネの両五輪で松坂大輔(西武)、北京五輪でダルビッシュ有(パドレス)がつけた「18」を背負う。香田さんはエールを送った。「同じ言葉でも、将大が言うと響き方が違う。苦しいところで、彼が力を発揮すると思う」
(鎌田真一郎)
からの記事と詳細 ( 「僕の球は打たれないです」恩師が明かす「18」背負う田中将大 - 西日本新聞 )
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