Monday, October 23, 2023

「帰りたい」とせがむ娘、軍事衝突で断たれたかつての生活 ガザで取材するBBC記者と家族 - BBC.com

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ラシュディ・アブ・アルーフ記者、BBCニュース(ガザ南部ハンユニス)

The BBC's Rushdi Abualouf with his wife, son, and two daughters

私の妻と子供たちは死にかけた。2日前(10月19日)のことだ。

ガザ地区南部ハンユニスにある4階建ての建物の1階に、私の家族はいた。私がテント生活を送る病院の近くだ。

私に会いに外出するところだった。その時、イスラエル軍のドローン攻撃がその建物の最上階を直撃した。

9歳の双子の娘たちは叫び声を上げながら通りに飛び出し、がれきが頭に当たった母親のそばを離れてしまった。

妻は幸いにも軽傷で済んだ。しかし、娘たちは心に傷を負った。その晩、娘たちは眠らず泣いていた。私は医者に電話をかけ、娘たちが眠れるように何かできることはないかと尋ねなければならなかった。

家族はいま、あの日、攻撃を受けた建物の数軒先で夜を過ごしている。自分たちが安全なのかどうかわからないまま、目を閉じる。

私と妻、娘たち、そして18歳の息子は、この戦闘が起きてから2週間で4回も住む場所を追われた。マットレスを車の屋根に縛り付けて、イスラエル軍の空爆の警告を聞きながらあちこち移動した。娘たちは学校や友達、乗馬クラブ、お気に入りのピザ屋など、大好きだったものすべてをガザ市に残してこなければならなかった。南部に向かうために。

ガザでは生と死が隣り合わせになっている。上空からの爆撃は絶え間なく続いている。多くの大人にとって、ましてや子供たちにとって、あまりに耐えがたい状況だ。地球で暮らす9歳児が、こんな目に遭わなければいけないなんて。

娘たちは私の足にしがみついたり、私を抱きしめたり、安心感を得ようといろんなことをしている。娘たちの心の回復には長い時間がかかるだろうし、たくさんのサポートも必要になるだろう。

かつての生活には戻れない

娘たちは2人とも、ガザ市に戻りたい、できるだけ普通の生活に戻りたいと何度も言ってくる。

今回のエスカレーションが起こる前、私たちはパレスチナ人の99%よりも良い暮らしをしていた。ガザ地区では使える電気に限りがあるし、大半の水は汚れている。地区外へ出るのは、たとえ短い休暇であっても難しい。この狭い地区から1度も出たことがないという40代の人たちもいる。

しかし私たちは、幸運にも外国で休暇を過ごしてきた。時には1度に1カ月あるいはそれ以上過ごすこともできた。今年の夏はトルコ・イスタンブール、キプロス、エジプト、ヨルダンを回った。ガザに戻らなければならないと伝えると、子どもたちは泣きそうになっていた。

ガザ市では、ビーチから400メートルのところにある大きなアパートで暮らしていた。妻と私はよく一緒に朝、砂浜を歩いていた。

息子は大学に通い、娘たちは水泳や乗馬ができる恵まれた学校に行っていた。自分たちのタブレットを使ってユーチューブを見ることもできた。私は仕事が終わると菓子を持って帰り、夕方は一緒に遊んだ。私のベッドで眠ってしまった子供たちを、暗闇の中、子供部屋まで運ぶこともあった。

しかし今では、私の子供たちが育った地域は誰もいなくなり、爆撃で更地になってしまった。

私は毎晩のように友人の家に行き、カードゲームをしたり、コーヒーを飲んだりして過ごしていた。家族そろって、週に1度は素敵なレストランに行くようにもしていた。ピザ屋か、特別仕様の鍋で肉料理を作ってくれる近場のレストランに行くことが多かった。その店は、家族みんなのお気に入りだった。

そのピザ屋もまた、がれきと化してしまった。

Rushdi Abualouf for the BBC in Gaza, wearing a flak jacket

こうした困難はあるが、私たち家族は何とか楽しもうとしている。ガザは常に戦場というわけではないし、喜びが得られるチャンスがあれば、私たちはそれをつかみ取る。私たちはひとつだ。妻や娘たち、そして息子の愛というつながりがあるからこそ、良い状況でも悪い状況でも、私は強い自分であり続けられる。

この戦闘の真っただ中にいる今日も、私たちはできる限りいつでも、幸せな瞬間を見つけようとしている。子供たちは仕事中の私を訪ねてきて、私の防弾チョッキやヘルメットを身に着けて一緒に笑い合っている。マイクを持って特派員をまねたりして。

それでも、子供たちの生活は決して、これまでと同じものにはならないだろう。娘たちは思い出の場所や、よく買い物に行っていた市場のことをしきりに尋ねてくる。帰りたい、とせがんでくる。あそこへは戻れないことを、娘たちは理解していない。

私のもとには毎日、北部に残っている医師やそのほかの人たちから連絡が入る。また別の建物が破壊された、また道路に穴があいた、またガソリンスタンドが爆破されたと。

家族が避難生活を送っていた建物が攻撃された後、私は家族にこう約束した。今起きていることがすべて終わったら、みんなをガザから連れ出して安全な場所に移すと。家族はもう、十分に犠牲を払っている。

何十万人もの人たちと一緒にガザ市を脱出して南部へ向かい始める直前、私は家族とガザ市で作ったすべての思い出を大切にしながら、自宅アパートの周りを歩いた。

私は妻を見てこう言った。「この素敵な家を見ておいて。もうここには戻ってこないかもしれないから」。

今日も私はテントで眠っている。自分が使っていたなんてことないベッドのことや、海辺でコーヒーを飲むことを思い浮かべながら。今となっては、どれもただの夢になってしまった。

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