【合わせて読む】60年を越える歴史、世界の最前線を届ける「世界報道写真コンテスト」とは
■漆黒の闇に浮かぶ光の輪
初めて訪れたスーダンの夜は、緊張感に包まれていた。2019年6月19日、停電による漆黒の闇が広がる炎熱の首都ハルツームに千葉はいた。
約2週間前の3日、軍に抗議するデモ参加者に治安部隊が発砲し、100人以上が死亡したとされる事態が発生。反政府運動で倒れた長期独裁政権に代わり実権を握った軍が、選挙による政権を求めた国民たちに銃を向けた結果だった。AFP通信ナイロビ支局でチーフフォトグラファーを務める千葉は、危険な取材を強いられている同僚記者らを支援するため、現地入りしていた。
武装した治安部隊が至る所にいて、戒厳令下のようなピリピリした空気が感じられた。「報道がデモを助長している」としてメディアも敵視されていた。約10日間の滞在中、2人組の男にいきなり取材を妨害され、カメラを奪われそうになった。警官が来て解放されたが、結局、誰が何の目的で襲ったのかは今でも分からない。「同じようなことが何回かあり、常に監視されている不気味さがあった」という。
治安部隊の警備が厳しく、抗議デモや集会はなかなか開かれない。デモ拡大を避けるためにインターネットが遮断され、情報も集まりにくい。街中を車で走り回り、集会がありそうだと聞いた場所に行き、発電機の準備をしていたとき、暗闇の中から手拍子が聞こえた。
小さな光の集まりがあたりをほのかに照らし、人の輪ができているのが見えた。人々が掲げる携帯電話の光だった。光の輪の中心には、1人の青年がいた。そして、抗議の思いを込めた詩を歌い出した。
「青年の表情に圧倒された。彼の気迫にただただ感服した。言葉の意味は理解できなかったが、矢のように放たれている。そんな印象だった」
思わずシャッターを切った。この写真が、WPPコンテストで大賞に選ばれた。民政移管に向けた暫定的な軍・民の共同統治に道を開いた民主化運動の象徴的な写真として評価された。
審査員の一人は授賞理由について「とても静かで美しい写真。変化を望む世界中の人々の不安を代弁している」などと説明した。自らこの写真を選び、コンテストに応募した千葉だが、撮影直後の段階でこう感じたという。
「治安部隊がこれほどの警備態勢をしいてデモを潰そうとする中で、消えずにしっかりとくすぶり続ける人々の気持ちを撮ることができた。よい写真が撮れたときに感じる充実感があった」
時間が経つにつれて、こんな気持ちにもなった。
「アラビア語圏では詩を使うことが特別なことではないと後で知った。この写真が単にデモの写真というだけでなく、スーダンの、アラビア語圏の人たちの生き方を伝えられたのではないかと思い、自分では気に入っている。むしろ、その部分が一番伝えたい点かもしれない」
■たぐり寄せたチャンス
千葉は大学で動画を勉強するつもりだったが、写真の講義を選択して写真展を見て回るうちに、「写真がミニマルな動画だと思い、意識するようになった」。
在学中に参加したNGOのスタディーツアーでネパールをトレッキングしながら撮影した写真を帰国後に現像してみると、そこに自分の感情が残っていることに気づいた。
これが原点となった。今でも言う。「そのときに自分が思ったことを伝えられる写真が自分にとってベストな写真であり、それが写真の良さであると思っている」
2007年まで朝日新聞の写真記者だった。「知らないものをもっと見たい」。その思いから退社し、世界に飛び出した。「特に大志はなかった」と振り返るが、新聞社時代に日本で取材した日系人たちにひかれ、「一番大きな日系社会のあるブラジルに行きたいという思いはあった」。しかし、向かった先は、妻が仕事で赴任することになったケニアだった。
初めてのケニアで、コネは皆無。「フリーになったはいいけど売り込むところもない。見通しはなにもなかった」。大自然の中で野生動物の写真を撮るなどしていたとき、転機が訪れた。07年12月の大統領選をめぐる暴動が起き、建国以来最大の国内紛争に発展。のちに「ケニア危機」とまで呼ばれた事態の発生だった。
現場に出て写真を撮りまくる中、目に入る報道カメラマンたちに所属を聞いて回った。確認した限りで、来ていない社が1社だけあった。AFP通信だった。
早速、同社のナイロビ支局を訪れ、撮影した写真を売り込んだら、その場で買ってくれた。その後も買い続けてくれ、契約フォトグラファーとなった。最終的には正式にスタッフとして採用された。
「幸運が重なった」と控えめな千葉だが、AFP通信を探し当てた努力には「自分でも偉いと思った」。そして、実力を的確に評価したAFP通信の存在も、今回の大賞受賞につながった大きな要因となった。
■「日本をちゃんと撮りたい」
大賞受賞の発表を受け、写真の中心人物である青年をオランダのメディアが見つけて、取材した。ムハンマド・ユーセフ(16)。この記事を見て、千葉も彼の名前を初めて知ったという。記事によるとユーセフは、ネットでニュースを見た友人から突然連絡が来て、初めて大賞写真の存在を知った。「ネットにあふれるフェイクニュースの一つだ」と家族から言われるほど、現実のものとは思えなかった。ただ、偽情報でないことはすぐに分かった。自身の姿を写した1枚が世界中の関心を集めたことに非常に驚いているという。
フォトジャーナリストとして世界で広く認められた千葉だが、それでも「自分はザ・フォトジャーナリストではない」と語る。真意を聞くと、これまで残してきた写真の魅力が理解できる。
「フォトジャーナリストとは、人々のつらい気持ち、大変な状況を代弁する役割を持っていると思うが、僕は、そういうことではない、無視されがちな柔らかいものや、楽しいことを撮った写真も大好き。人間の喜怒哀楽が表れているのであれば、なんでも撮りたいという思いが根本にある。もう一つは、本当に日常的な、何もないところでの写真も撮っていきたいという気持ちがある」
朝日新聞時代に撮影した写真の数々に、「日常を撮りたい」という千葉の感性が如実に表れている。都内版で連載した「中央線の詩」は、撮る題材を自身で自由に決めることができた連載だったといい、都内のJR中央線沿いの日常風景が、千葉の主観的な選択によって刻み込まれている。
時をまたいで何度も撮影に行ったという富山・滑川でのホタルイカ漁の写真は極めて幻想的で、朝日新聞に掲載された。週刊朝日にグラビア写真として掲載された1枚が、06年7月に日本雑誌写真記者会賞最優秀賞に選ばれている。
今後の目標を聞いてみると、答えは意外にも世界ではなく、「原点回帰」だった。
「海外に発信できるチャンネルを持ったので、それを生かして、将来は日本をちゃんと撮りたい」と千葉。「これまでの世界報道写真展を見ても思うが、地元のカメラマンが自国のことをちゃんと撮っている。これはすごく大事なことだと思うので、自分の国のこともちゃんと見る必要があると思っている」
そして、こうも言った。
「現場でいろんなことに気づいた人が勝ちの世界です。いろんなことに気づけるカメラマンは強いです」
今後も現場に立ち続けていくという。
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May 09, 2020 at 09:03AM
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