1985年選抜でPL学園と対戦、清原に本塁打を許し1-11で大敗した
イチロー氏でも、松井秀喜氏でもない。昭和、平成、令和と3元号で指揮官としての甲子園出場を確実にしている聖隷クリストファー(静岡)の上村敏正(うえむら・としまさ)監督が歴代最強打者に挙げたのは、清原和博氏だった。セカンドフライだと思った打球が右中間スタンドに入った衝撃に「格が違った」と振り返る。
36年経った今も、鮮明に覚えている打球がある。1985年の第57回選抜高校野球大会。聖隷クリストファーの上村監督は当時、静岡県の名門・浜松商を率いて出場した。1回戦の相手は桑田真澄氏や清原和博氏を擁するPL学園だった。「清原の後ろを打つ桑田も嫌だったが、清原を抑えれば勝機があると考えていた。ただ、当時のPL学園は下位打線の選手もプロに行ったほど強力だった」。
試合は1-11で大敗。最も警戒していた清原氏には本塁打を許した。実は、甲子園で対戦する前にPL学園と練習試合を行い、上村監督は清原氏のデータを入れていた。指揮官は当時、強打者に徹底していた攻め方があった。「本塁打のある打者への定石は外角中心だが、逆の配球をするように指示していた。内角高めを攻めてから外角に投げて、もう1度内角を攻める」。
練習試合では、清原氏に対して内角高めから入ったが、その球を柵越えされた。次の打席。バッテリーに「もっと厳しく内角を突け」と指示した球も、本塁打された。上村監督は1つの結論を出す。
「清原には常識が通用しない。本塁打を避けるには外角中心の配球にしなければいけない」
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