Wednesday, December 23, 2020

甲子園の夢断たれ、私が知った明徳義塾の本当の強さ - 朝日新聞デジタル

antakatabur.blogspot.com

 幼いころからの夢が断たれたとき、私だったらどう振る舞っただろう。コロナ禍の影響を受けた今年は、高校球児にとってもつらい年だった。春の選抜大会、夏の甲子園大会も中止に追い込まれた。この状況のなか、私は、高知県の強豪校・明徳義塾の本当の「強さ」を知った。

 「お前らが目標にしとった大会がない。残念でたまらん」

 新型コロナウイルスの収束が見えないなか、5月20日、日本高校野球連盟は夏の甲子園大会の中止を決定した。その日の午後4時すぎ、須崎市の明徳義塾の野球部専用グラウンドで、甲子園51勝(当時)の名将・馬淵史郎監督(65)が、約100人の部員らに苦渋の決定を知らせた。

 部員はうつむき、唇をかみ、涙をこらえている。馬淵監督は、甲子園大会は無くなったが、3年生も夏の終わりまで普段通りに練習を続けると伝えた。そして言った。

 「忘れんなよ、世の中に出て苦しいことがあった時、耐えていける精神力をつけるというのが高校野球なんや。甲子園だけが全てじゃないんやから」

 部員はすぐに気持ちを整理できなかったはずだ。それでも涙をぬぐい、前を向いた。鈴木大照主将は「3年生はまだ高校野球は終わっていない」と語った。

 「甲子園がないんだったらしょうがない」。そう思って野球部を卒業する選択肢もあった。だが、明徳義塾の3年生は夢への道は閉ざされても、いつも通りに最後まで野球をやり続けるという。自暴自棄になってもおかしくないのに。

 その後、四国を含めて全国では、各地の高野連が感染対策をした上で夏に独自大会を開催するという動きが広がった。明徳義塾だけでなく、高知県の、四国の、全国の球児は独自大会に向けて再び走り出した。

 独自大会で優勝しても甲子園への切符はない。やり切れなくて気持ちが途切れそうになったとき、仲間と一緒に励まし合い、心を奮い立たせたのだろう。

 感染防止対策のため、家族らを除いて原則無観客となった大会は多かった。高知県でも、大声援のない球場は静かだったが、いつもと変わらず、熱かった。

 「甲子園だけが全てじゃないんやから」。部員らに語った馬淵監督の言葉をかみ締めている。

 何かを得ることだけが大事じゃない。くじけず、ひたむきに前に進むことこそ大事なことなんだと。(湯川うらら)

Let's block ads! (Why?)


からの記事と詳細 ( 甲子園の夢断たれ、私が知った明徳義塾の本当の強さ - 朝日新聞デジタル )
https://ift.tt/34I9wQx
Share:

0 Comments:

Post a Comment