今、炎のストッパー・津田恒美(登録名恒実)さんのお願いが、思い出されてならない。ソフトバンクは11月30日、歴代5位となる通算234セーブの記録を持つデニス・サファテの現役引退を発表した。2014年にはシーズン54セーブのプロ野球記録を樹立した守護神も、故障から復活することできなかった。やはり、勝敗に直結するストッパー業の過酷さは想像以上なのだろう。
サファテは11年に広島に加入し、日本球界でのキャリアをスタートさせた。今季、広島はルーキーの栗林良吏が37セーブを挙げる活躍だったが、私にとって広島の守護神といえば、93年にこの世を去った津田恒実さんの姿が真っ先に思い浮かぶ。
広島担当記者として、彼が先発からストッパーに転向する姿を取材してきた。津田さんはプロ入り3年目となる84年オフ、都内の病院で血行障害の治療のため、世界で初の右手中指の靱帯(じんたい)を摘出する手術を受けた。
確か翌年の85年だったと思う。とある日、津田さんから「触ってみいや。まだ、冷たいんじゃ」と、右手の中指を差し出されたことがある。今、思えば指を差し出す方も差し出す方だが、「ほんま?」と言って指を握る、私の姿も不気味だったかもしれない。
だが、ストッパーに転向した86年はだいぶ感触が戻ってきたのだろう。150キロを超すストレートとフォークボールを武器に、4勝6敗22セーブの好成績でチーム5回目のリーグ優勝に貢献。カムバック賞にも輝いた。この年のオフ、カムバック賞の記念品として津田さんから「バースにホームランを打たれて『ウソ』といいながら、後ろを振り向く姿のパネルを作ってくれ」と奇妙なお願いをされた。
たまに、担当チームの選手からパネル作成や写真がほしいと頼まれることがある。だが、それはホームランを打ったり、好投したりする雄姿である。打たれたシーンをほしがったのは、津田さんが最初で最後である。理由を聞くと、彼は「そのパネルをみて、気持ちを引き締めるためじゃ」といったと思う。
86年の津田さんと阪神の最強助っ人、ランディ・バースの勝負といえば5月8日、甲子園での対戦ばかりがクローズアップされる。九回2死満塁の場面で対戦。150キロを超すストレートで真っ向勝負し、この年三冠王に輝いたバースを3球三振に打ち取った対決である。
だが、津田さんの頭にこびりついて離れなかったのは9月30日、広島市民球場で八回、バースに浴びた46号2ランだった。結局、その後は後続を抑えて21セーブ目を挙げたが、自分に厳しい津田さんは許せなかったのだろう。
バースは日本で通算202本のホームランを放った。だが、津田さんが許したのは86年を含めてわずか2本。炎のストッパーの気迫勝ちだったかもしれない。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)
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