昭和56年1月18日、小林の〝お百度トレ〟が満願の日を迎えた。
この日、京都・狸谷不動尊の250段の石段の下にはこの間、小林を応援し続けた大勢のファンや関係者、報道陣が集まっていた。
「やり遂げてくれはって、私も感激です」と涙したのは、初日から一緒に階段を上った京都百萬遍(知恩寺)近くでガソリンスタンドを経営するおじさんだ。
毎日「寒かろう」と熱いお茶を運んでくれた近所のおばちゃんもうれしそう。そして学校帰りに立ち寄って「がんばれ!」と声援を送ってくれた地元の中学生たちの顔もあった。
小林は集まった人たちに深々と頭を下げて100回目の階段を上り切った。そして白装束に着替えると不動尊裏にある滝に打たれた。
雪解けの凍えるような冷たい水が小林の肩、背中を打った。震える手を合わせ目を閉じ小林は耐えた。
この滝は鎌倉時代から多くの剣豪、武芸者たちが参籠した由緒ある滝。江戸時代初期の剣術家で「剣聖」とも称された宮本武蔵が、吉岡一門との「一乗寺下り松の決闘」に臨む前、この滝に打たれた。武蔵は敵への憎悪ではなく、己の恐怖と煩悩に打ち勝つことを悟った―といわれている。
この滝のことを小林に紹介したのは「銭形平次」で有名な俳優の大川橋蔵。小林が満願の日を迎えた日、ホッと安堵(あんど)の表情を浮かべた。
「やり遂げましたか。実は紹介しておきながら、少しばかり心配していたんです。野球選手は肩が命。その肩を冷たい滝の水で冷やして大丈夫なのか―と。何度もおやめなさいと言ったんです。でも、小林さんは応援してくれたファンのためにも…と。本当によかった」
筆者も1週間、小林の〝修行〟に付き合った。もちろん、見ているだけ。体を震わせながら、黙々と足を上げ階段を上る。日を追うごとに小林の表情が変わっていった。そして最後に滝に打たれた小林は静かな口調でこう話した。
「水の冷たさ、岩の冷たさよりも、自然の暖かさ、人の心の温かさを痛感させられました。けっして一人の力で上がり切ったとは思っていない。もし、本当に一人だったらくじけていたかも。これからボクの人生でやらなければいけないこと、それは野球ただひとつ」
小林は武蔵のような「心」を悟ったのだろうか。最後の一言には剣豪のような鋭い響きがあった。(敬称略)
からの記事と詳細 ( 【小林繁伝】武蔵修行の滝に打たれて「野球ただひとつ」 虎番疾風録其の四(373) - 産経ニュース )
https://ift.tt/xOrNGHn
0 Comments:
Post a Comment